割と反応があったので今日も本の話です。
ちなみに私の場合ラノベはむしろある程度年齢行ってから読み出しました。
一桁くらいから固いものに突入していたんですよ。
歴史小説と翻訳物ばかり読んでた嫌な小学生でした。
憶えてる中で一番古い続きものは司馬先生で項羽と劉邦上中下巻。
そこから坂の上の雲菜の花の沖と繋げて読むという。
どんな小学生だ、自分。
後は定番の三国志水滸伝
ここからレ・ミゼラレブルにアーサー王と円卓の騎士。ルパンと流れ。
変ったところでは各都道府県ごとに一冊ずつ民話を纏めた本を読んでたり。
中2の後半くらいからようやくスニーカーやファンタジアに手を出しました。
それまでは専ら図書館で借りた翻訳物でしたねー。
ただ、いわゆる文学と呼称される世界にはあまり足を踏み入れなかったり。
心理描写よりも無味乾燥な文体の平明さを好んでまして。
翻訳物に傾倒してたのもその辺が理由。
これは多分、文章を読むために読んでいたのではなかったからかなー。
読書は目的ではなく手段でした。知識欲を満たすための。
物語そのものよりも捻じれた似非知識を好み。
本編よりもエンサイクロペディアが好き。
物語られるよりも材料をもらって想像する側の人間です。
脳内は劇場。文章は台本。話しの流れは確かに台本どおりに進みますけど
演じ手は私が動かしているのですから私の想像力が足りなければ動ききれません。
だから大量の材料を読み込んでそこから足りない部分を補充していく。
文章はむしろ簡素な方がより想像は書きたてられて演じ手は生き生きと動きます。
なので伝奇物とかは読んでいると頭が痛くなって来たり。
訳が判らないのが伝奇なのにそれを理解し切らなければ私の中の演じ手は動かないという矛盾。
改めて、かまいたちの夜に始まるヴィジュアルノベルの系譜は新境地を切り開いたものだったんだなーと思いますね。
苦手な人間にも読ませる、という点において。
という訳でファウスト読んでて頭痛くなりましたよぅ(あはー)